【三国遺事】での古朝鮮は、漢字で見出し7字、本文352字、割註を合わせても440字の短文である。 昔、天帝の桓因(ファニン)の庶子に桓雄(ファヌン)という神がいた。桓雄はいつも地上の人間界に思いをはせていたが、それはいつしか父の桓因にも通じていた。桓因は天から地上の三符印を三個授けて、天降って人間界を治めてみよと命じた。 桓雄は三千の供を率い、太伯山の頂きに祭ってあった神壇樹という神木の下に天降り、そこを神市と名づけた。それで桓雄を桓雄天王ともいうようになった。 桓雄は風伯(風を司る神)と雨師(雨を司る神)と雲師(雲を司る神)の三神をしたがえて、穀物、命、病、刑、善悪など人間に関する三百六十余事を司り、人間界を治め、教化につとめた。 その時、一頭の熊と一頭の虎が同じ洞窟のなかに住んでいて、常々桓雄に祈願していた。自分達をどうか人間の姿にしてほしいと願ったのであった。桓雄は「彼等のたっての願いを聞きいれて」、霊艾(もぐさ)一束と蒜(にんにく)二十個を与えながら言った。「これを食べながら、百日間、日光をさけてこもれ。さすれば人間になれるであろう」 神のお告げを聞いて熊と虎は、さっそくこもった。それから二十一日目に熊は女の姿に変ったが、耐えられなかった虎は人間の姿にはなれなかった。女の姿になった熊女は神壇樹の下に詣でて、「女の姿になったものの、夫になるものがいないので、子が生まれません。どうか神さま、子を授けて下さい」と熱心に祈るのであった。 その願いを聞いた桓雄は、瞬時に変身して熊女と情を交し、男の子が生まれた。その子を檀(壇の字も使う)君王検(ダングンワンクウォム)と名づけた。 |
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『巻一 紀異第一』 第十七代、那密王即位三十六年(西暦390年)に、倭王の使者が来朝して「わが王が大王の神聖であられることを聞いて、臣に、百済の罪を大王にあげるようにといわれました。願わくば大王の王子お一人をつかわせて、わが君に誠意を御示しくださいませんか」といった。そこで王は三男の美海を送った。美海の年は十歳で、言葉や動作も未熟であったので、内臣の朴娑覧を副使として付き添わせた。倭王は彼らを抑留し三十年も帰さなかった。・・・・・・・・・・・愛する息子を倭に送り、逢えないままに世を去られた。いままた私が即位してから、隣国の兵力が強大で、戦争が止まない。・・・ |
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一然 著 金思火華 |
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